本日はお日柄もよく。

絵をかいたり気になったことを語ったり妄想したりしています。

「人生に疲れた…」でも無理矢理ヤル気出すのも面倒なので後ろ向きに思考転換してみた。

 

 

人生に疲れました。
ここんとこ週一くらいで人生に疲れてるんですが、「いやいや、こんなんじゃいけない。やる気をださねば!」と一念発起できるときと、「いやー…むりっすわー…」というときがあります。

今はどちらかというと後者で、ただ疲れたというより魂が抜けたみたいな感じがします。雑踏の中を歩いてて人いきれするみたいな。

無理矢理ヤル気を出そうとすると更に疲れてしまうので、ここはいっそ逃げようと思います。いわば気分転換ですね。この気分転換ってよく考えると思考転換なのかもしれません。

とりあえず思考転換レシピを書いていこうと思います。

 

レシピ1:「閉塞感」の正体を突き止める

 

気分転換してもすぐにヤル気が回復するわけではないけど、とにかく一番に考えたいのは「閉塞感から脱すること」です。

なんだか生きづらい、息苦しい…
ということは「何かに狭さを感じている」ということですよね。

ところでこの「狭さ」とは一体何なのでしょうか?

 

ここでちょっと考えたいのが、中高校生のいじめや、twitterなどのSNS疲れです。

いじめは限られた空間で起こっているのでなかなかそこから脱することができないですよね。特にクラスは1年間同じだったりするので難しい。

一方SNSはやめようと思えばやめることができます。SNSは見知らぬ人と繋がれるし世界中とつながっています。けどTLを見てください。この世に大量にいる人間の中からフォローした人だけの呟きだけがそこに流れてくる。いわば自ら作り出した密閉空間です。

更に親密なつながりができれば、イイネしなければいけないとか、リツイートしなければいけないとか、不思議な暗黙の了解に囚われることもあります。

よく「かまってちゃんウザイ」と憤っている人がいますが、恐らくその手の人もこれです。本来無視すればいいのですが、構わなければいけない、自分はそれを強制されているんだ、という気持ちに受け取り手が囚われているというわけです。

 

ここで気づくのは、「代わり映えのないメンバーに囲まれていて新しいものが入ってこない環境」「~しなければならないと強迫観念を感じてしまう環境」ということです。

 

そう考えると「閉塞感(=狭さ・息苦しさ)」の正体は、

「停滞感(=よどみ)」「強迫観念(=ルール)」

と言い替えられるのではないかと考えられます。

 

この「よどみ」と「ルール」が無くなれば、閉塞感から脱することができるということです。

 

 レシピ2:あたらしいものを取り入れる

 

停滞感から脱するには、やはり新しいものが必要ですよね。
個人的にオススメなのは「知らない道を歩く」ことです。
お金もかからないし、歩くと脳が活性化されて良いアイディアも浮かびますし健康にも良い。正に一石三鳥!

例えば仕事帰りに毎日同じ道を歩いているとしますよね。その場合、同じ道を歩いてもちっとも気分転換になりません。なぜなら、いつも仕事帰りに考えていることが蘇ってくるからです。

行動と記憶って連携していますよね。

音楽などもそうですが、ある時期好きで聞きまくっていた音楽は、数年後に聞くとその当時の記憶も呼び起こします。だから音楽って比較的感傷的になりやすいですよね。

そんなわけで音楽も「いままで聞いたことがないアーティストの音楽を聞く」のがオススメ! これからは気持ちを一新してこのアーティストと一緒に歩むぞ、くらいの感じがいいですね。

 

ちなみに一番良いのはおそらく「新しい生活習慣を取り入れる」ことです。おおよそ3か月続ければその習慣が身につくそうなので、3か月頑張れそうな方はチャレンジしてみるといいかもしれません。

ただ、生活習慣をかえるというのは結構一大事というか、表題の「無理矢理ヤル気だすのも面倒」にひっかかると思うんですよ。明らかに面倒じゃないですか!?
これはどっちかというと一念発起して頑張る系の内容だと思うので、ここでは特に多くは語らないことにします。

 

レシピ3:古いものを捨てる

 

「新しいものを取り入れる」と同じことですが、今度は捨てるほうです。わたしは嫌なことがあった日に着ていた服をよく捨てるのですが、その服がずっとあると、目に入るたびに嫌な記憶が蘇ってやる気が低下するんです。

嫌な記憶がしみついているものは早めに捨てたほうがいいのではないかなと思います。視界にある、同じ空間にある、というだけで気持ちが削がれる可能性がUPするからです。

オークションやフリマで売るとお金にもなって丁度いいかもしれませんね!ただ売れるまで部屋にその物体があるわけで、その間は気分がよどむ可能性もあります。これにどう対応するかですね…

 

そういえばメンタリストDaiGoさんがこんなことを書いてました。

「自分の目標や欲求のために必要じゃない物は全部捨てる。これが大掃除です」

 

lineblog.me

↑この日のブログ記事が片付けに関することだったのですが、DaiGoさんいわく「ときめくかときめかないかは関係ない」そうです。一躍有名になったあの人気の掃除法を一刀両断してたので思わず笑っちゃったんですが(笑)まあどちらを信じるかはアナタ次第!ということでしょうね。

 

レシピ4:今あるルールや常識を破ったらただちに死ぬのかどうか考える

 

誰しも常識に則って生きているとは思いますが、中には自分の定めたルールが沢山ある人もいますよね。
一言で言うと「完璧主義者」です。

「こうじゃなきゃだめ」「こうしなければならない」というパターンの思考は、ある意味では信念ともいえるし、自分があると言い替えられるかもしれません。 

ただ、強迫観念にとらわれるということは、それ以外の思考を遮断しているとも考えられますよね。「これが正しい」ということはつまり「これ以外は正しくない」ということです。

しかしもしかすると「これ以外」の中に素晴らしいものがあるかもしれない。けど思考の段階で遮断しているのでそれを取り入れることがないんですよね。

 

そうなると、やはりここにも淀みが出てくる。上手くいっているときはいいけど、上手くいかなくなったときに「正しいはずなのになんで?」になります。凶悪な閉塞感のお出ましです。

これが更に悪化すると「自分は間違ってないのにオカシイ。相手が悪いんだ」に変貌するので大変なことになります。

こうなってくると、自分が自分に課したルールこそが自分の首を絞めているのかもしれない、ということに気付かなくなってしまいます。

 

そこで試したいのが「それをやめたら自分は直ちに死ぬの?」と自問することです。

 

例えば仕事で、相手から指定された締切を破ったとします。これは結構大変なことですよね。何しろ信頼に関わりますから!
そして、恐れていたとおり相手から「締切も守れないなんて。もうあなたには頼みません」と見限られたとします。それがとても大切な仕事だったらもうショックですよね。

人生終わったって思うかもしれない。大失敗だと。自己嫌悪に陥って、なんで自分はダメ人間なんだ。もう何もしたくない…とか思う。

ここで魔法の言葉のお出ましです。

 

「確かに失敗した。で、自分はただちに死ぬの?」

 

だいたい死なないです。
だいたいふてぶてしく息してます。

もちろんそれが大プロジェクトで社運がかかってたとかいうなら少し事情は変わってきます。お前のせいで大変なことになった、クビだ!となるかもしれない。会社をクビになったらお金がなくなって家賃も払えない、食べ物も買えない、どうしよう…

でもですよ…

 

「ただちに死ぬの?もうこの瞬間に死ぬの?一秒後に死ぬの?」

 

だいたい生きてます。
だいたいふてぶてしく腹が減ったりします。

 

もう不思議だと思いませんか?
こんなに絶望してやる気もでなくて生きてるのがツライとか思ってるのに、腹が減ったらぐ~って鳴るし、なんかしらないけど生きてるんですよ。

ここで心臓さんのことを思い出してみてください。産まれてから一回も仕事を休んでない。めっちゃブラック企業ですよ!君って本当にすごいね、尊敬するよ…そう思わざるを得ない。

 

レシピ5:他人は大して自分のことを気にしていないと思いだす 

 

別にここで「生きろ、そなたは美しい」的なことを言いたわけではありません。ただ単に、どんなに絶望しても心臓が働いている限りは「生きてる」ってことが言いたいのです。

「これを守らなければならない」と思っていたルールを破っても、生きてるんです。

ということは、本当はそんなルールいらないんです。

もちろん、「こういう生活が理想だからこういうルールにしよう」といった、目標のためのルールという場合もあると思います。それは、自分が豊かな生活を送る為に決めたことだから良いと思うんです。

ただ、すっごく疲れて人生ホントもう嫌だ…とか思ってるときにまでそのルールに縛られる必要もないと思うんですよね。だって基本的にそのルールを破ったって生きてるんですから。

 

そのルールを破ると嫌な気分になるのは、自分がルールを守れなかったことで自己肯定感や自己重要感が低下するからだと思うのですが、それをそこまで気にしてるのは自分だけで、けっこう周囲はそこまで気にしてませんよね。

だって思い出してみてください。小さい頃、誰かにしてしまったイタズラや嫌な思い出など、1つや2つあると思います。自分はそのことをすごく気に病んでるけど、何年も経って再会してそのことを話したら「え、そんなことあったっけ?」ってパターンは結構あります。他人は他人の人生を生きてるので本当はあんまり関係ないんですよね。

あと個人的にこれも書いておきたいのですが、他人は自分の人生の責任はとってくれません。なにしろ覚えてないんですから!あの時あなたがこう言ったからこの選択をしたのに…と言ったところで、ここでもあの言葉が登場。「え、そんなことあったっけ?」

 

レシピ6:空白に戻っても自分は自分だと認識する

 

例えば今自分がもっているものすべてを失うとします。頑張って手に入れた高価な品、名声、栄誉、社会的地位、友達…全部失ったとしますよね。

わたしはよくこのことを想像して「空白」と表現しているのですが、この何もない空白状態を想像してみてほしいんです。

例えば今までは誰かに尊敬されてたり好かれてたかもしれない。
けどそれが一切なくなる。悲しいですよね。辛いですよね。
でも生きてますよね。心臓動いてますよね。

つまり…依然として「自分は自分」だということに気づきます。

他の誰かになれないし、自分をやめることもできないし、とりあえず自分だけは自分のままそこにいます。なーんにもなくなったのに自分だけはなんかいる。

その「自分」は、失敗したり色んな大切なものを失ったけど、まあその経験は持ってます。

職人さんは、道具がなくなったとしても、その技術をもってます。それは道具さえ手に入ればまた使える唯一無二の武器です。そういうのはなくならないです。自分さえ消えなければ。

 

空白に戻ったとしても、自分は否定されるわけではないということがわかります。それだけいろんなものを失ってなお、自分が否定される感じがするなら、それはもう自分が自分を否定しているということですよね。こんな自分はダメだ、とか。

でも仕方ないんですよね。
だって実際にダメ人間なんだもん(笑)

でもそれでいいんですよ。それが自分なんだから。なんでダメ人間じゃいけないの?ってハナシです。

 

たまにそれを全力で否定してくる人がいます。「それは間違ってる」「それはありえない」と。これはさっき書いた、強迫観念の人です。その人自身も無意識に自分自身を縛り上げて苦しんでいるのに、それに気づかないから相手を同じ縄で縛りたくなっちゃう。

でも考えてみてください。その強迫観念を全部とっぱらったらその人だって空白になるのです。その強迫観念を持つことで自分らしさを維持しているのかもしれないけど、そんなことしなくたって元々その人はその人なんです。オツカレ~!と言ってBOSSコーヒーかなんか差し入れしとけばいいんです。

 

空白になっても自分は残ってる。

その自分こそが核なんだから、最悪それ以外のものはなくなっても自分はなくならない。自分がなくならないということは、基礎部分は残ってるってことだから、何かやろうと思ったときにそれを軸にできるってこと。

 

すごく頑張るのは面倒だしそんな気分にはなれないけど、まあその軸があればまた挑戦はできるだろう、と思ったりします。
失敗ばかりが続くと勿論ヘコむのですが、何もできなくなるわけではないし、自分は消えないという部分がけっこう大事な気がします。

 

最終レシピ:フォーレを聴く!

 

とはいえヤル気を復活させるのは難しいです。なにせエネルギーが必要です。

そんなときは個人的にこれがおすすめです!
フォーレの「ラシーヌ賛歌」。
なんかこう…心が洗われますね。

 

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4月で新生活スタートするキラキラした時期だってのに何書いてんだってハナシですよね。まあそんな時もあるということで。

ではでは、、

 

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