本日はお日柄もよく。

絵をかいたり気になったことを語ったり妄想したりしています。

徳川家康の天下統一は古事記時代から決まっていた?松平郷から読み解く歴史が面白かった!

久々にひとりプチ旅しました。初の愛知県です。
実はどうしても見たいライブが名古屋であって、そのために出かけたのですが、どうせだったらということで観光もしてきました。名古屋にいたのはライブまでだったので、観光は主に豊田市、岡崎市、豊川市、豊橋市あたりをまわりました。三河と呼ばれるあたりでしょうか。

徳川家康に関係が深い「松平郷」というところが個人的に楽しかったので、手動で冒険の書を綴っていこうと思います!

※歴史のお話ですが厳密さは考慮していません。あくまでゆるふわ読物ですのでご注意くださいませ!
※旅の記録も兼ねているので、旅行情報も併記しています

まずはおさらい!戦国三英傑とは?

歴史が好きじゃない人でも、徳川家康の名前は知っていると思います。織田信長と豊臣秀吉ができなかった天下統一を果たして、江戸幕府を開いた人ですが、まああまり人気があるかんじではないですよね笑

この時代、恐らくいろいろな戦国武将が「俺が天下取ってやるぜ!」と思っていたと思います。これは現代でいったら「Facebookみたいに成功して世界に名を轟かせたい!」と思うのと同じことですよね。そう考えるととても自然だと思います。

実際に天下統一に手が届きそうだった、または手が届いた、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三人は「三英傑」とよばれていて、それぞれの性格は「ホトトギス」の俳句で比較されますが、なぜか必ず信長が人気です。

これはもう~ほんと不思議!!!だって現代で考えてみてください。現代でいったら信長ってベンチャー系ワンマン社長みたいなものです。もしあなたが家臣の明智光秀だったら耐えられるでしょうか?たぶん、オージンジオージンジでお馴染みのスタッフサービスに電話していたのではないでしょうか?


信長「あ、光秀?ちょっとあそこの取引先の接待たのむわ。超デカイからマジちゃんとやって?」
光秀「かしこまりました」
信長「あ、光秀?ちょっとあそこに出張してくんない?」
光秀「でもまだ接待が…」
信長「は?なに口答えしてんの?お前ナメてんの?」
光秀「オージンジオージンジ…」

※史実を元にしていますが忠実には再現していません。びっくりするほど個人の感想です


尤も、信長と光秀の仲や謀反理由にも諸説あるので、光秀が本当に信長を憎んでいたかどうかはわかりません。というか、今回は徳川の話なので、信長の件はこの辺で…!

信長は光秀の裏切りによって自害することになり、光秀は羽柴(豊臣)秀吉によって討たれました。その後、秀吉が政権を握りますが、1600年の関ヶ原の戦いをキッカケに徳川天下が決定づけられることとなります。そこから明治維新まで徳川政権は長く続くわけですが、そもそも関ヶ原の戦いが起こったのは家康が60歳ごろのことで、晩年の出来事です。じゃあそれ以前の家康ってどうだったの?ということですが、そもそも彼は「徳川家康」という名前ではなかったのですよね。

松平郷は松平氏発祥の地

家康は生涯で何回か改名していて、竹千代→次郎三郎元信→蔵人佐元康→松平家康→徳川家康と、おおよそこのような流れのようです。もともと三河国の土豪・松平家9代目当主なので、松平さんだったわけですね。その松平氏発祥の地が、今回話題にしたい「松平郷」です。

この「松平郷」は愛知県豊田市にあるのですが、豊田市といえば自動車で有名なトヨタですよね。あと豊田市駅にはスタジアムがあるので、どちらかというと観光ではなくてコンサートで来訪する人が多いのかもしれません。観光に力を入れてる感がなかったので、あんまり有名じゃないのかな?と思ったのですが、個人的にはとても気に入りました!

■公式サイト:松平郷

パンフレットがすごい素敵なんですよ!英語、韓国語、中国語と用意されているのですが、冊子になっていてお洒落です。


家紋もついててかっこいい!


中は写真も満載。普通に本のようになっています。


他にも、折り畳み式パンフレットがありました。

「松平郷」には、豊田市駅から「おいでんバス」に乗って行ったのですが、バス停近くに待合室があって、そこにいろいろなパンフレットが置かれていました。ミニ時刻表とかも路線ごとに揃っていて便利です。これらのパンフレットもそこでゲットしました。

松平郷へのアクセス方法

<電車の場合>
名鉄豊田市駅から、おいでんバス(下山・豊田線、大沼行き)で約40分、「松平郷」バス停下車。徒歩約5分。
<車の場合>
東海環状自動車道の豊田松平インターでおりて15分。

豊田市駅前のバスターミナルは、ほぼ名鉄バスが乗り入れてる感じだったので、「おいでんバス」はちょっとわかりにくかったです。別々にバス停があるわけではなく、同じバス停だけどそれぞれ停車するかんじですね。松平郷に行く場合は「2」番のバスターミナルです。ちなみに料金は片道ワンコインの500円。バスの本数が少ないので要注意です。

■おいでんバス公式サイト:時刻表|バス|みちナビとよた - 平常時・災害時の総合移動情報

歴史と自然が楽しめる2ヘクタールの「松平郷園地」

松平郷の中には史跡や神社がいくつかあるのですが、広すぎて回りきれないということはなく、ほどよく散歩しながら見られるのが楽しいです。とりあえずいくつか写真付きで紹介していきます。

バスを降りて松平郷に向かう道。結構山の上の方にあります。


個人的にすごいなと思ったのはEV自動車用のスタンド(?)があったこと!今までたびたび山の上のほうに旅することがあったけど、初めて見かけました。さすがトヨタ擁する豊田市!と勝手に感動しました(笑)


見所の一つである「松平東照宮」です。国指定文化財になっています。
現存する水濠や石垣は関ヶ原の戦いのあとに築かれたそうな。歴史を感じますね!
わたしが行ったときはそこそこ観光客がいたのですが、それに押されることなく、どっしり落ち着いた雰囲気が漂っていました。

松平東照宮の奥の道を辿ると、「産湯の井戸」があります。
松平家は代々この井戸の水を産湯に使ったそうで、家康もこの水を使用しました。
家康は岡崎城で生まれたのでやや距離がありますが、この井戸水を竹筒に入れて早馬で届けたのだそうです。

ちなみに松平東照宮でお水が売っていたんですよ!
飲料用じゃないのでお風呂とかに使うようなのですが、ちょっと気になりましたね。この湯を使えば人生の良い波に乗れるんじゃ!?と思いましたが、帰宅するまでまだ1日あったので諦めました…。
気になるかたはぜひ購入してみてください!殿、天下統一できるかもしれませぬぞ。

松平東照宮からずっと上に登っていくとこのような景色が続くのですが…


その途中に「在原氏の墓所」があります。
なぜ在原氏?と思いましたが、どうやら松平氏の遠祖は在原氏を称する公家だったのだそう。
在原という名字はとても珍しいですよね。思い出すのはやはり、在原業平です。業平といえば光源氏のモデルになったともいわれ有名ですよね。

業平といえば…イケメン!!!

まあその当時のイケメンなので、どういう基準なのか謎ですが…。
だって当時の美人って目が細くてぽちゃっとした顔といわれていますよね??そう考えるとイケメンもあやしい…。
幕末くらいになると、新撰組の土方歳三がイケメンとして有名ですが、彼は現代でも通用するイケメンだと思うんですよね。しかし平安は…いえ、なんでもありません。


とにもかくにも、ここで気になったのは、

「松平氏遠祖の在原氏って、あの在原業平と関係あるの?」
「もし関係あるとしたら在原業平と徳川家康は関係あるということになるの?」

ということです。
これが今回の話題のキモとなるので、くわしく後述します。


ちなみにこの「在原氏の墓所」は本当に本当に山道で、もはやしばらく誰も通ってないな!?という状況でした。
きっと観光にいらっしゃる方のほとんどは徳川家康を目的にやってくるだろうから、在原氏といわれても「???」となるのかもしれませんね。
個人的には登りたいなと思って途中まで行ったのですが、途中から本当に道が道じゃなくなっていたので、こりゃいかんと思ってやめました。うう~無念!あと残暑厳しい日だったので虫がすごくて、虫が嫌いなわたしには厳しかったです。

わたしは海か山かといえば山派なのですが、いかんせん虫がダメなので夏の山とかヤバイですね。
以前、長野の白馬に泊まったとき、そこがすごくハートフルなホテルだったんですよ。それで、部屋に入ったらカーテンが全部しまってて、その手前に「虫さんも入ってくるけど殺さないでね!仲良くしてね!」的な紙がおいてありまして。ま、まさか…?そう思いながら恐々カーテンを開けたら、虫さんがたくさん寛いてらっしゃいました。そっとカーテンをしめました。共存しました。以上です裁判長。


こちらも松平郷の見所の一つで、松平氏の菩提寺の「高月院」です。
家康が寺領100石を与え、明治維新まで将軍家から厚い保護を受けていたそうです。
菩提寺なので奥には始祖のお墓などが並んでいてお参りができます。ここには家康が植えた木などもあって、おお~っと地味に感動しましたね。

以前の記事でも書きましたが、わたしは木が好きでして!
www.motomin.work


木は人間よりはるか長い時間を生きていて、もし言葉が話せるとしたら、驚くくらい長い歴史を語れる存在だと思うんですよね。家康と話すことはできないけど、家康もこの木を触ったのか~と思って触ることができる。これは空も同じなんだけど、同じ時代や場所にいなくても「会えない人でも同じものを見られるんだ」という部分にものすごくロマンを感じます。間接的に人や時代や空間を繋げているというか。いいですね~(´∀`)

松平郷の遠方の景色です。かなり山ですね。テンションあがる~!!!
さらに奥に行くと松平郷テラスという展望スペースがあるそうなのですが、時間の都合上そちらには行きませんでした。天気が良い日は名古屋駅周辺まで見渡せるそうです。

山道を登る見所として在原氏の墓所と展望テラスは断念しましたが、「松平城址」には行きました。
日本の城が好きなので、これは行かねば!と執念に駆られて登りました。
といっても松平城址は山城で、とくに何かが残っているわけではありません。山頂に「松平城址縄張図」の看板があるので、それを見てフムフムという感じでしょうか。そこまでキツくないので、松平郷に行った際は登ってみてくださいませ。ちなみに山頂から下るとき、2回転びました笑

松平郷には「天下茶屋」というお食事処もあります。
わたしが行ったときはちょうど1つ席が空いていてすぐに通してもらえたのですが、とても人気で常に満席でしたね。家康の好んだという麦飯のほか、うどんや蕎麦、スイーツなども揃っていました。

「織田がつき羽柴がこねし天下もち 座りしままに食うは家康」

この文言がまたたまらないですね~!


ちょうどお昼でお腹も減っていたので冷たいたぬき蕎麦を頼みましたが、せっかくなので名物の「天下もち」もお願いしました。
天下もちは3つお餅がついていて、みたらし×2、あんこ×1となっているんだけど、思ったよりも1つ1つのお餅がデカかった!直径2センチくらいを想像していたのだけど、6センチくらいありましたね。食べ応えたっぷり!

すごくお腹いっぱいになったけど美味しかったです♪ みたらしの味が濃くて良かった(´∀`)
さすが名物だけあって天下もちは人気みたいで、結構みんな頼んでましたね。持ち帰りで購入されているお客様もいました。

「天下茶屋」さんでは、お茶のおかわりを急須で出してくれるんだけど、その急須の持ち手部分(?)が兎になっていて可愛かったです。普段は旅先の茶屋的なところはあまり利用しないのだけど、こちらのお店はなんかホッとする雰囲気で良かったですね。


さあ、腹も満たされたので戦といきますか…

ここから本題です!!!(遅)


驚きの家系図!松平家の始祖はお坊さん

「松平郷」の見所などを写真で辿ってきましたが、先述したとおり松平家の遠祖は在原氏です。
松平郷を開拓したのは在原信盛という人で、その息子の在原信重がさらなる開拓を進めて道などを整備したところ、ある日その地に「徳阿弥(とくあみ)」という全国行脚していた時宗の僧が訪れたのだそう。徳阿弥は信重の末娘の水姫に婿入りし、松平太郎左衛門親氏と名乗りました。これが松平氏のはじまりです。


松平氏の家系図はこんな感じです。

お坊さんの地位は時代によってすごく高いですよね。しかし彼は全国行脚していたということから、公家の娘と結婚するというのはある意味、逆玉の輿なのでは!?なんて思ってしまいました。ちなみに↑の写真は親氏の銅像なのですが…一目見たとき、もう「織田信長かよ!?」ってツッコミを入れましたね!なんか雰囲気似てません?ワイルドじゃないですか?僧なの?本当に僧なの?シックスパックですぜ?

でも戦国時代の僧って、一休さんのモデルとなった一休宗純や、信長を苦しめた本願寺顕如など、「この人ほんとに御坊さんなの…?」と疑問になるほど破天荒な人が多いですよね。もしかしてこの当時の僧侶って、いま思っているものとかなりかけ離れているのかもしれない。当時の僧は権力を持っていたというのもあるけど、良く考えると武家や公家から僧になったりしてましたもんね。もはや現代感覚で考えると「??」なことが多いのが歴史のおもろいところですね。

松平太郎左衛門親氏の義父「在原信重」ってどんな人?

松平氏始祖はお坊さんで婿養子、という部分だけでかなり興味をそそられましたが、じゃあ最初に松平郷を開拓した在原親子はどんな人なんだろうと疑問になりました。wikipediaで調べると父親のページはなく、息子のページだけがありました。

出自は確定できていない。『松平村誌』の「松平氏由緒書」では賀茂氏や鈴木氏の一族といわれる。『古代氏族系譜集成』は父・信盛を荒尾持頼と同一人物とし、また荒尾氏は在原氏の後裔のため、信重は在原氏であったとする。また「陰陽寮下司系図―加茂系図」(鈴木真年『百家系図稿』所載)では、信盛の父親は賀茂在信だとする。
(中略)
信重の家は弓馬や和歌に秀でた三河国中に知られていた有徳人・富貴の者であったとされ、松平親氏とその配下・石川孫三郎ら一行が信濃国から碧海郡酒井村あるいは幡豆郡坂井郷を経て松平郷へ到来した。信重は親氏の和歌に通じた教養と武勇を評価して、その次女・水女の婿養子として松平郷を継承させた。

出典:wikipedia「松平信重」

これを見ると、加茂氏説もあるようですね。となると必ずしも在原氏とはいえないのかな?と思いましたが、松平郷がそのようにアナウンスしているのでここでは在原氏の系統ということで話を進めていきたいと思います。それにしても在原親子はかなりデキるお金持ちだったのですね!やはり血は怖い…!

在原氏はどんな人達?

そこで今度は「在原氏」ってどんな人達なの?というのが疑問になってきます。そんなわけで在原氏を調べてみると、

平城天皇皇子の阿保親王・高岳親王が臣籍降下したことに興る皇別氏族(賜姓皇族参照)。「在原」とは、『詩経』小雅「常棣」の中にある“脊令在原 兄弟急難(脊令(セキレイ)、原にありて、兄弟(けいてい)難を急にす[3])”の句から取ったと言われている(仁平道明説)。一般に知られるのは阿保親王流で、賜姓に与った行平・業平兄弟の子孫が栄えた。

出典:wikipedia「在原氏」

平城天皇の息子の阿保親王・高岳親王が、皇族なんだけどその身分を失って、臣籍になったことで「在原氏」が始まったということですね。これは「お前って仕事できるよな!というわけで支社に転勤な!」と、立場はそれなりに良い感じなんだけどうまく言いくるめられて左遷させられた感がある内容ですね。

なぜこんなことが起こったのか?
原因は平城上皇と嵯峨天皇が対立した「薬子の変(くすこのへん)」(もしくは「平城太上天皇の変」)で、一言でいうと天皇の後継者争いに負けてしまったから、ということになります。

とにもかくにも「在原氏」はそこから発生したわけだけど、この阿保親王の息子にイケメン在原業平がいます。業平くんは第5王子でしたが、もともとは天皇家の系譜だったわけだからスゴイですよね。この時点で、松平氏は在原業平やその祖父・平城天皇につながっていると考えることができます。

そこで今度は平城天皇を遡っていきます。平城天皇のお父さんは桓武天皇です。桓武天皇のお父さんは光仁天皇です。光仁天皇のお父さんは志貴皇子という人で、第七皇子だけど皇位とは無縁で文化人として人生を謳歌していたようです。で、志貴皇子のお父さんは…天智天皇!!!天智天皇といえば「大化の改新」で一発キメたことで有名ですよね。一般的には中大兄皇子という呼び方が有名かもしれません。


もうね…

徳川家康を遡ったら中大兄皇子に辿り着いたっていうこの興奮!!!!テンションマックス!!!!!


わたしは「天下茶屋」でお蕎麦と天下もちが出来上がる間これを検索していたんですが、天智天皇に辿り着いた時点で一人で勝手に興奮しました。オタクだなってつくづく思いましたw 個人的に中大兄皇子が好きなので尚更興奮でしたね!

しかしここでしつこく遡ると、天智天皇のお父さんは舒明天皇、その父親は押坂彦人大兄皇子、その父親は敏達天皇、その父親は欽明天皇、その父親は継体天皇、その父親は彦主人王、その父親は乎非王、その父親は意富富杼王、その父親は稚野毛二派皇子、その父親は応神天皇、その父親は仲哀天皇、その父親は日本武尊(やまとたけるのみこと)、その父親は景行天皇、その父親は垂仁天皇、その父親は崇神天皇、その父親は開化天皇…この先面倒くさいので父親名を列記します。

孝元天皇、孝霊天皇、孝安天皇、孝昭天皇、懿徳天皇、安寧天皇、綏靖天皇、神武天皇、彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)…この辺からもはや覚えることすら難しい名前になってきましたが…

その父親は、火折尊(ホオリノミコト)で、日本神話に登場する神です。
さらにその父親は、ニニギという人物で、「古事記」や「日本書紀」に登場しています。


つまり結論としては、


徳川家康の祖先は、神!!!!!


ということがわかりました。

徳川家康の天下統一は偶然じゃない?


ここまで遡った時点で、もしや家康が天下統一できたのって必然なのでは…みたいな気分になりました。もちろんこれは俗にいうトンデモ理論なんだけど、個人的にはワクワクできて楽しかったです!

実は今まで徳川家康ってあまり好きではなかったんですよね。でも今回名古屋に行く機会があったりだとか、たまたま仕事の関係で調べることになったりだとか、そういうのが重なって考えを新たにしました。

家康は最終的に天下を取ったので、なんだか漁夫の利感があるなぁと思っていました。でもエピソードを1つ1つ探っていくと、家康は今まで自分の中になかったものでも「これ良いな!」と思ったものなら採用して味方に引き入れるなどのことをしています。もし家康が自分の意見に固執している人物だったらこんなことはせず味方も少なかったでしょう。

織田信長は周囲に裏切られることが多かったですよね。カリスマ性が高いのに最終的にそうなってしまったのは、家臣から見て「嬉しいな!」って思う部分が少なかったからなのかもしれません。一方の家康は、例えば伊賀の忍者を雇うなどしました。「君達はすごいから力を貸してよ!」といわれれば、嫌な気持ちはしないでしょう。

そう考えると、信長はカリスマ性と新奇性があったけど、家康は根回しが上手いだけではなく現状で良いと思われるものを取り入れる天才だったのかもしれません。現代風に考えると、起業するには信長のような革新的なやり方が有効だけど、会社を長く維持するためには家康のような保守的な手法が有効だということかな…なんて思いました。

家康が生まれた城「岡崎城」

松平郷に行ったあとは、足を延ばして「岡崎城」にも行きました。夕方に到着したので時間が足りず、「三河武士のやかた家康館」は見ることができなかったのですが、城内の展示物など興味深くて楽しかったです。

展示は基本的に撮影NGなのですが、日本刀「小烏丸」の写しだけは撮影OKとなっていました。これも日本刀擬人化ゲーム「刀剣乱舞」の影響でしょうね!まさか旅先でこのような刀剣に出会うと思わず、「おお~」と感動しながら撮影しました。

岡崎城は「岡崎公園」の中にあります。公園面積はなかなか広くて散歩するのにちょうど良い感じだったので、本当はもっといろいろ回りたかったですね!ちなみに家康像もありました。松平郷の親氏と比べるとなんか落ち着いてますね。やはり親氏は信長感がハンパ無い気がする笑

岡崎公園内の電話ボックス。可愛すぎて思わず撮影しました!

そういえば岡崎公園の中には「二の丸能楽堂」があったのですが、わたしが行った日は丁度どなたかのライブ(?)をやっていたんですよ。それがラップというかレゲエというか(ここら辺の違いが詳しくわからなくてすみません;)その系統の音楽で。だから公園内を歩いてるともうリズムがすごいわけです。めっちゃ響いてくる!

徳川家康が生まれた城という時点で歴史的だし堅いイメージなのに、流れてくる音楽がめっちゃ現代的で、なんかこう、時代の融合をかんじましたね。個人的にそのギャップがすごい良いなあと思って楽しくなりました(´∀`)

■岡崎公園の公式サイト:岡崎公園|岡崎おでかけナビ - 岡崎市観光協会公式サイト


松平から徳川へ

歴史上の人物はたびたび名前が変わるので分かりにくいですが、家康は「徳川」姓になり、その後栄えていきました。この改姓については、朝廷から「じゃあ徳川を名乗っていいよ」と言われたようですが、そもそも家康の方から「ウチはもともと藤原系で由緒あるから!」的な働きかけをしたらしく、そもそもは官位(地位)を獲得するための策だったように思われます。

徳川という姓は、平安時代末期~鎌倉時代初期の武士&御家人だった得川義季(世良田義季)に由来するらしく、家康はこの人物を自身の遠祖としたようです。実際のところはどうなのか分かりませんが、そういうのを含めてやっぱり歴史は楽しいですね!

というわけで、今回はプチひとり旅の記録&松平郷についてでした!徳川家康に興味を持つ人がどのくらいいるか分からないですが、天下を取っただけあって、聖地巡礼する場所がとても多く面白いです。歴史を感じたいかたは、ぜひ松平郷にも足をのばしてみてくださいませ♪

ではでは、、

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