本日はお日柄もよく。

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出張中だって酒を飲む!駕籠でも飲んでた江戸時代の医者・箕作阮甫の酒好きエピソードが面白かった

 

こんにちは、もとみんです。3月中旬以降、妙にやる気が低下していまして、東国原さんの名言のようにどげんかせんといかんと思って、元気になれそうな本を探していました。本来は体を動かせば良いのですけど、いかんせんやる気が低下しすぎて動く気すらしない。

そんな折、「病とむきあう江戸時代―外患・酒と肉食・うつと心中・出産・災害・テロ」という本に出会いました。

病とむきあう江戸時代―外患・酒と肉食・うつと心中・出産・災害・テロ

病とむきあう江戸時代―外患・酒と肉食・うつと心中・出産・災害・テロ

 

この本の内容を一言でいうと、

江戸時代のお医者さんはどういうふうに病気に対峙していたの?

というものです。

エンタメ的な本というよりは、論文的なものを読んでいる気分になるとても真面目な本なのですが、なぜか妙に笑える部分がありまして!

というのも、めちゃくちゃ酒飲みのお医者さんが登場するのです。お医者さんといえば健康のエキスパートというイメージがありますが、もう~飲む飲む! どんだけ飲むんだよ!?と酒飲みのわたしでさえツッコミを入れたほです。

そんなわけで、今回は江戸時代にいたファンキーな(?)お医者さんについて書いてみようと思います。

 

江戸時代から医者は世襲制だった

医者といえばいつの時代もハイスペックな職業というイメージがありますよね。また、「代々うちは医者の家系で…」といった言葉も聞かれるほど、医者の子供は医者になる、というイメージが強いです。

当時の医者もどうやら世襲制が多かったようで、小さい頃から知識を積み重ねて技術を継承していたようです。また、薬はいわば先行投資のようなものだったのだとか。

たとえば高価な薬を入手したとしても、必ず消費するとは限らないですよね。ところが子供も同じように医者になれば効率良く薬が使える。それに加えて親の代からのつながりも活かせる。なるほど、患者のネットワークを代々受け継いでいけば困らないというわけですね。

ちなみに、当時のお医者さんは僧侶の姿をしていたそうです。そのため江戸初期の医師は「分限帳」に名字が書かれなかったとのこと。「分限帳」とは大名家の家臣の名前、禄高、地位、役職などを記した帳面のことで、江戸後期になると医師の名字も記載されるようになったそうな。

ところで当時の医者には、町医者と御医師(藩医)があり、藩医は藩主の健康を担当する医者ということもあって腕がよかったようです。ただし藩医でも手に負えないようなときは、腕のいい町医者を呼び出して、そこから藩医になることもあったようです。

ちなみに藩医は一人ではなく、複数の集団になっていたそう。そのため、どれだけの給料で雇われているかといった内部事情で揉めることもあったとか…こういうのはいつの時代も同じなんですね(;∀;)

個人的に驚いたのは、江戸後期の尾張藩のはなしです。なんと藩医が民間の医者に対して試験を行い、一定の医療水準を保っていたんだそうです。まさに医者の中の医者!?

ただしこれ、あくまで尾張藩での制度だったようです。ほかの藩はわかりませんが、幕府全体での試験はなかった模様。現代の医師免許のように、全国統一の水準は無かったということですね。

 

旧東京大学の創設にかかわった美作国津山藩医師・箕作阮甫

この本で良い飲みっぷりを披露していたのは、美作国津山藩医・箕作阮甫(みつくりげんぽ)という人物です。彼は医者の家系にうまれ、父の代に藩主から取り立てられて町医者から藩医にレベルアップしています。父と兄が亡くなって12歳で家督を継いでいるので結構過酷な人生ですね。

ところで阮甫さんは、現在の東京大学の前身・旧東京大学の創設にも関わっています。本にはこのようなことは書かれていなかったのですが、今ネットで調べたらすごい人だったのでびっくりしました! 知らなくてごめんよ阮甫さん!

彼は江戸で修業を重ねたのち幕府天文台翻訳員になり、ペリー来航時には米大統領国書の翻訳を担当、対露交渉団の一員として長崎にも出向いています。医学だけではなく、語学・西洋史・兵学・宗教学などなど、かなり博識だったようです。

「蕃書調所」という幕府が開設した洋学教育研究機関の首席教授にも任命されており、この機関の一部がのちに東京大学法理文三学部に継承されました。いわば日本初の教授だったわけですね!

 

公務出張中だけど飲みが止まらない!

そんな幕末ハイスペック男子だった阮甫さんは、前述のとおり対ロシア交渉団の一員として長崎に出向くことになります。なぜ長崎に行くことになったかというと、旗本で勘定奉行だった川路聖謨(かわじとしあきら)の従者に任命されたからです。

では川路さんは何者なの?ということですが、彼は安政元年(1854)に「日露和親条約」に調印した人物です。この長崎行きはその前年の出来事で、つまり国全体の責任を担うものでもありました。ということはもちろん公務出張です。阮甫さんには官金も渡されています。

この長崎出張の様子は、阮甫さんの日記『西征紀行』からうかがえます。川路さんと阮甫さんはそれぞれ行列をなして長崎に向かいましたが、少し離れて移動していたようです。そのため、この二人の行動はだいぶ違いました。

川路さんは本来酒好きだったそうですが、長崎出張にあたり、自分にも家臣にも厳しく禁酒を命じ酒類は一切携行しませんでした。ちなみにこの出張、往復+滞在でおおよそ3か月くらいあります。そんな長い期間を禁酒!!! どうやらだいぶ緊張感をもって出張に当たっていたようですね。

一方、阮甫さんは初日からさっそく風呂上りに一杯やっています。体調が悪い日以外は毎日飲んでおり、公務出張のわりには観光名所を訪ねたり、墓所を訪ねたり、友人と語らったり、景色を愛でたりしています。なかなかエンジョイしてるといえるでしょう。

また、関ヶ原を通りかかったときは駕籠のなかでうとうとして景色を見逃したらしく、これを後悔しています。てかそれ昨日の酒のせいだから!アルコール残っちゃってるから!!とツッコミをいれたくなります。

 

もちろん公務40日間も禁酒はしない!

阮甫さんの酒好き列伝はそれだけでは終わりません。一日中雨だった日は昼から飲み、ありあわせの肴と一緒に朝から飲む日もありました。日記には「酔っぱらった」とか「深夜に及ぶまで飲んだ」とか「昨日の酒で二日酔いになった」とか書いており、もはやわかりみが深すぎて目頭が熱くなってきます。

長崎での滞在は40日間で、そのうち公務があるのは約半分でした。いくら酒好きとはいえ、もちろん阮甫さんは博識の方であります。当時としては高度と思われる翻訳などの公務をしっかりこなすあたりはスゴイの一言に尽きますよね。ただし公務があった日は帰宅後に飲酒し、公務のない日には昼間から飲みました。

また復路では、肩や腰の痛みを感じたものの酒を飲み、翌日みずから治療をするという荒業を成し遂げます。また弟子が酒を携えて訪ねてきたときは、少々酒が余ったため翌日朝から一杯やりました。

この気持ちはすごくよくわかります。酒は遠足と同じなのです。遠足は出発から帰宅までが遠足なのであって、酒は最後の1滴まで酒なのです。

わたしは酒をこよなく愛する彼にこの言葉を捧げたい。

NO SAKE , NO LIFE

 

地酒をみずから購入

彼は復路でも観光をしていたようで、太宰府天満宮への参拝や反射炉見学をおこない、ときには花の美しさに感動して詩を読み、孫へのお土産を購入し、最後まで出張を満喫(?)したようです。

ちなみにその土地の地酒をたびたび購入していたそうで、これを入浴後に飲んでいたほか、駕籠のなかにも装備して美味しくいただいていたのだとか。

この道中、彼のもとにはさまざまな人が訪ねてきたり、ときには接待したりということもあったようですが、宿泊先で出される酒より知人が持ってきた酒のほうがうまいといったことも述べています。

彼の酒好きは知られていたそうなので、たぶん周囲も美味しい酒を手土産に持っていこうと思ったのでしょうね。そう考えると普段から好きなものを公言しておくことは重要かも!?

ちなみに、水がきれいな木曽路の地酒は、江戸時代から人気があったそうです。地酒っていまでも有名なものがいろいろありますが、この本では酒の銘柄についても触れられているので、そんなところも面白かったですね。

また阮甫さんは、地酒だけではなくワイン、シャンパン、レモン風味の酒などさまざまな種類のアルコールを飲んでいました。ここ数年ワインは人気なようで飲酒人口も増えていそうですが、シャンパンはなかなか飲まない人も多いでしょう。当時からシャンパンを嗜んでいた阮甫さんはかなり通ですね!

ちなみに個人的にちょっと気になる点がありまして。それは阮甫さんがもらったという「官金」です。これはいわば出張費ですよね。このお金って宿泊費用だけなんですかね? でもいわゆる経費なのだろうから、食事の費用も入りますよね。ということは酒代も……?

 

それってタダ飲み!!!??

  

寒い冬に酒を飲んで温まっていた可能性もある 

この本で紹介されていた『西征紀行』のエピソードは、阮甫さんの酒好き度がよくわかる内容で面白かったです。

この日記には天候に関する記述もあり、出張そのものが寒い冬のことだったので、温まる為に酒を飲んでいたということも考えられるそうです。ただし寒い日以外にも飲んでいるので、晩酌する習慣があったのだろうと著者は分析しています。

いやはや、お医者さんでもここまでお酒が好きな人もいるんですね。なんだか親近感がわきました!しじみ汁を進呈したいw

ちなみにこの本では、伊達政宗の酒好きっぷりも紹介されていました。その部分も面白かったので併せて感想を書きたかったのですが、阮甫さんの飲みっぷりが面白かったのでこちらをクローズアップしてみました。なんだかこの記事を書いていたら地酒が飲みたくなってきた…(笑)

ではでは、また、、

 

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