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織田信長の城と足跡をたどる!1泊2日の聖地巡礼歴史旅in愛知(1)名古屋城・万松寺・清州城・清洲古城址

2019年6月5日

こんにちは、もとみんです。

今年4月上旬に織田信長にまつわる聖地巡礼プチ旅をしたので、今回はそれをまとめてみようと思います。もうずっと書きたいと思ってたのでやっと書けて良かったです!

信長の聖地はいろいろなところにありますが今回は愛知県限定です。しかも1泊2日というスケジュールなので、さすがに全部はまわれませんでした。いつか岐阜や京都にも行きたい!

以前、徳川家康(松平信康)にまつわる場所・松平郷への旅について書きましたが、信長系の跡地と家康系の跡地ではけっこう雰囲気が違う気がしました。土地的には近いのに不思議ですね。

 

 

※旅の思い出も一緒に書いています
※2019年6月現在のアクセス情報も一緒に載せています

 

 

サクッと振り返る織田信長の人生

信長は尾張の戦国大名・織田信秀の長男として生まれました。もはや説明する必要がないほど有名な人物ですが、戦国時代を生きたその生涯をサクッと辿ってみます。

 

  • 1534年(01歳)勝幡城で誕生。那古野城で育つ。
  • 1549年(16歳)濃姫(斎藤道三の娘)と結婚。
  • 1552年(19歳)父・信秀が死去。抹香投げつけ事件勃発。家督相続。
  • 1554年(21歳)本拠地を清洲城に移す。
  • 1558年(25歳)弟・信勝を暗殺。
  • 1560年(27歳)「桶狭間の戦い」で今川義元を討つ。
  • 1563年(30歳)本拠地を小牧山城に移す。
  • 1567年(34歳)本拠地を岐阜城に移す。
  • 1568年(35歳)足利義昭を奉じて上洛。
  • 1570年(37歳)「姉川の戦い」で浅井氏・朝倉氏に勝利する。
  • 1571年(38歳)比叡山延暦寺を焼き討ちにする。
  • 1573年(40歳)室町幕府を滅ぼす。
  • 1575年(42歳)「長篠の戦い」で武田勝頼に勝利する。
  • 1576年(43歳)近江の新拠点・安土城を築く。
  • 1582年(49歳)「本能寺の変」勃発。自害する。
  • 1917年(没後)11月17日 正一位を贈位。※なんと大正6年!!!

 

信長はたくさん戦をしているはずですが、こうしておおまかな年表にすると意外とそう感じないような…?

ただ「桶狭間の戦い」と「長篠の戦い」はどちらも意義が大きいですよね。当時の今川義元は三国くらいを治める影響力の大きい大名で、それに対し多勢に無勢で勝った信長はやはりすごい。この戦いにより勢力図が変わったといっても過言ではないですよね。

「長篠の戦い」の対戦相手は、その名を世に轟かせた信玄ではなくその息子ですが、そうはいってもあの武田氏です。武田といえば『甲陽軍鑑』が有名ですが、その戦略や人心掌握術はのちに家康も徳川幕府のなかで参考にしているほどです。

明智光秀には悪いけど、個人的にはもう少し長く生きてほしかったですね! 信長だったらどういうふうに勢力を伸ばしていったのか、完全に天下統一したらどんな幕府を開いたのか、もうほんと単純に興味があります。

でもなんとなく、たとえ光秀が襲撃しなかったとしても、やがて外様の誰かが謀反してたような気がする…(笑)

 

もはや教祖様?「大うつけ者」と呼ばれた信長の人物像

信長は「うつけ者(馬鹿者)」と呼ばれていたことで有名ですよね。ティーンエイジャーだったころの信長は、たくさんある織田家のうちの一つの倅という存在でかありませんでしたが、そうはいっても戦国大名の嫡男です。

そんな彼は、街に出て悪ガキたちと一緒にチャラい格好で歩いていたといわれています。父親の葬儀にもそのチャラい姿で登場し、位牌に抹香を投げつけるという謎の行動を起こしています。てか喪主が信長なのに(笑)

こんな具合だから家臣たちは「あ~もう織田家マジオワコンだわ…」と嘆いたそうです。信長の教育係だった平手政秀にいたっては、何度いっても信長がマトモにならないものだから「これで少しは反省してください」ということで自刃までしています。

尤も政秀の自害理由には諸説あって、『信長公記』では信長と対立したとされているため本当のところはわかりません。

しかし信長は、のちに彼の死を弔うために「政秀寺」というお寺まで建立しています。ということは、信長にとってやはり特別な存在だったということでしょう。

 

▲政秀寺は今でも訪問できます♪

 

 

個人的に信長ってかなり人間らしい人だったんじゃないかなあと思っています。まあ残虐性はあるかもしれないし、変わり者ではあるけど、「世の中はそうかもしれないけど、俺はこうしたいからこうします!」っていう意思を感じるというか。今の世の中だったら確実に嫌がられますね(笑)

けど、身分を問わずにつるんだり、既成概念にとらわれずに行動したりという部分は、個人的にけっこう好きだなあと思います。

信長はほんとうにカリスマな気がするんですよね。秀吉や家康はどちらかというと「うまくやろう」というかんじがするけど、信長の場合は「ついてこれる奴はついてこい。そうじゃなきゃ(敵だから)殺す」みたいな…なんか宗教家みたいな感じです。

ただ単に我儘な人のいうことは誰もきいてくれないけど、教祖様のいうことならどんなこともきくじゃないですか。しかし中には、「その宗教ってちょっと違くない?」って気付いちゃった人がいて、その人たちが「信長包囲網」を作って敵対していくっていう。

なんというか、栄枯盛衰という言葉が過ぎりますね。

 

名古屋の旅では、お得な「一日乗車券」「ドニチエコキップ」の購入がおすすめ!

余談はともかく、さっそく信長の足跡をたどったプチ旅について書いていこうと思います。

わたしの地元から名古屋を目指す場合は、高速バスか東海道新幹線になるのですが、今回は後者を利用しました。新幹線だと1時間前後で到着するので、あっという間ですね。

遅い朝ごはんを車中で食べながら名古屋に到着。

名古屋駅についてまずすることといえばお得な一日乗車券を購入することです。名古屋市交通局が「一日乗車券」「ドニチエコきっぷ」といった乗り放題の切符を発行していて、これがめっちゃ便利なんですよね!

名古屋駅なら専用券売機がありますが、普通の券売機でもそのまま買えます。新しめの券売機だと領収書も発行可能! ただし発行できない機械もあるので要注意です。

ちなみにこの一日乗車券は、あくまで地下鉄&バスが対象です。

名古屋にはほかにも「名鉄○○線」という電車がたくさんありますが、最初この違いがよくわからなかったんですよね。でも「名鉄=名古屋鉄道」だと気付いてやっと違いを理解しました!

名古屋市交通局は名古屋市の運営で、名鉄は私鉄なんですね。東京でいったらメトロ○○線(地下鉄)と東横○○線(私鉄)の違いみたいなものですかね。

 

 

若かりし頃の信長が育った那古野城(名古屋城)

那古野城(現在の名古屋城)

 

まずは信長が育ったという那古野城(現在の名古屋城)です。

実はこの写真、前回名古屋に行ったとき(2018年)のものなのですが、信長の聖地巡礼として一緒に書きたかったので差し込んでみました。

距離的に1泊2日内で問題なく巡れますし、名古屋城は日本100名城にも数えられているので、まだ訪問したことがないという方におすすめです。

 

那古野城はもともと今川氏が築いたもので、信長の父が奪い、子供の信長に譲られました。現在の名古屋城は那古野城の近くに徳川家康が築城し、尾張徳川家の居城として長く利用されたようです。

そのような経緯があるので、このお城については信長だけではなく家康の聖地巡礼としてもいいですね! 

 

名古屋城はかなり大きいですが、訪問したときちょうど工事をしていたので完全な景観を見られずちょっぴり残念でした。ちなみに、いまのところ天守閣にも登れません。2018年~木造復元に向けて工事をしているようで、2022年12月竣工予定だそうです。

ある意味、この時期限定の傷だらけの雄姿を見られたことはラッキーかも!?(と、前向きにとらえよう!)

 

  • 公式サイト:名古屋城公式ウェブサイト
  • アクセス:地下鉄名城線 「市役所」 下車 7番出口より徒歩 5分
  • 観覧料:大人500円
  • 開園時間:9:00時~16:30(本丸御殿、西南隅櫓の入場は16:00まで)

 

父・信秀の葬儀が行われた抹香投げつけ事件の舞台「万松寺」

織田家の菩提寺「万松寺」

 

ティーンエイジャーの信長は「うつけ者」とディスられていましたが、それが決定的に広まったのが「抹香投げつけ事件」だったそう。その舞台となったのが、父・信秀が開いた織田家の菩提寺「万松寺」です。

「万松寺」は商店街の真ん中にあるんですよね。事前にネットで情報は得ていたけど、いざ行ってみたら本当にサラッと道のなかに存在していたので驚きました。

お札とかおみくじとかの授与所が道に面してあるので、なんだかすごい不思議でしたね。お寺って地味なイメージがありますけど、万松寺はかなり存在感があります!

  

商店街のなかにあります

 

ちなみに、厄難身代わりと商売繁盛に良いらしいです。

 

織田信秀公の墓碑

 

右側のわき道を入っていくと、父・信秀公の墓碑があります。外にあるので誰でもお参りできるようです。オープンでいいですね!

 

「からくり人形・信長」

 

その先にお堂(?)があるのだけど、上のほうに扉があって、タイミングが合えば「からくり人形・信長」が見られます。

上演時間は、基本的には「10時/12時/14時/16時/18時」で、「第一場 抹香事件」と「第二場 幸若舞」があるようです。

わたしが見たのは第二場のほうですね。抹香投げつけ事件のほうも見たかった~!

 

信長は幸若舞「敦盛」を好んで舞ったといわれていますよね。「人間五十年」は信長が口にした言葉ではないけれど、信長自身は「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり(人の世の50年は天界の時間と比べれば夢幻のように儚い)」という言葉を愛していたのだとか。

この言葉は人生を儚む意味ではないといった解説をネットで見たのですが、ひょっとして信長はこの世から消えること(死ぬこと)を恐れていなかったのでしょうか。なんかふとそんな気分になりました。

普通は死ぬのが怖いけれど、違う世界を信じていれば怖くないですよね。こういうことを考えさせられるあたりも、なんだか信長って宗教家っぽいんですよね…(笑)

そうそう! わたしはこの「人間50年」という言葉を聞くたびにあることを思い出すんですが、日本史上のひとで「人生は40年くらいで終わるのがいい」みたいなことを言ってた人がいませんでしたっけ??

50年じゃなくて40年なんですよ。気になって探しても見つからないんですよね…記憶違いなのだろうか? もしご存知の方がいらっしゃったらぜひ教えてくださいませ!m(_ _)m

 

  • 公式サイト:亀嶽林 万松寺
  • アクセス:地下鉄鶴舞線/名城線「上前津駅」8番、12番出口より徒歩3分

 

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