もとみんわーく

創作系フリーランスのライフハック、メンタル、思考、気になる作品やネタなど語っています。たまに絵も描いてます。

あなたはどれ?「天才・秀才・凡人」を診断しよう

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こんにちは、もとみんです。

気づいたらもう7月…すでに2020年も半分が過ぎました。久々すぎるエントリーなのですが、今日は「天才を殺す凡人」という本について書こうと思います。

この本、発売されてすぐのころにすごく気になっていたんです。ところがなかなか読めずじまいで、1年くらいして購入して読んだのですが、これまたなかなか感想をかけずに日々が流れていました。そんなわけで今回は念願の感想です!

この本では、おおまかに「天才」「秀才」「凡人」の3種類に人間が分かれています。こうして3種類並べてみると、「天才」がやっぱりすごそうに思いますよね? ところが、凡人がその天才を殺してしまうことがあるという…

天才、秀才、凡人……はたして皆様はどれでしょうか??

 

 

あなたは、天才?秀才?凡人?

この本を購入したら、しおり(?)みたいなものが挟んでありまして、そこに自分のタイプをおおまか分類できる診断が載っていました。本文にはないものなので、おまけだと思うのですが、これはなかなか面白かったです!

 

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みなさんはどのタイプだったでしょうか??

 

「天才」「秀才」「凡人」の違い

本書では、人を「天才」「秀才」「凡人」の3つに分類していて、そこからさらに細かい枝分かれがあります。この3つの分類にはそれぞれ特徴といえる軸(価値基準)があり、以下のようになっています。

  • 天才=創造性
  • 秀才=再現性(ロジック)
  • 凡人=共感性

たとえばビジネスの場で考えると、こんな感じにいえるのではないでしょうか?

  • 天才=創造性……作る(企画や発案)
  • 秀才=再現性……拡大する(システム構築)
  • 凡人=共感性……お金にする(世間に広める)

 

凡人はどうやって天才を殺すか?

そこで本書のタイトルになっている部分ですが、天才はこの世にごくわずかしかいませんが、凡人は圧倒的な数がいます。そしてこの二つの関係は、このようになっている。

  • 天才は、凡人に理解してほしい
  • 凡人は、天才を理解できないから排斥する

凡人は天才の前衛的だったり革新的なアイディアを理解できないのでスルーする…そうなると、そのアイディアがどんなにすばらしいものでも成功はしないということです。

 

さて、ここでもう一つの秀才ですが、これがまた面白い!

  • 秀才は、天才に憧れと嫉妬をもっており、凡人のことは内心見下している
  • 凡人は、天才を理解できず排斥し、秀才を天才だと勘違いしている
  • 天才は、凡人に理解してほしいと思い、秀才には興味がない

もうね…この関係図の皮肉なことといったらないですよ!

さらに皮肉なのは、「凡人は二度天才を殺すことがある」からです。

 

凡人は成果を出す前の天才には冷たい。しかし成果をだした途端に手の平を返して、すごい、天才!と褒める。

しかし時代が変わりルールが変わるとその天才も失敗する。すると凡人は急に態度をかえる。だから天才はさらに孤独になる。

 

こういうシーンって世の中にめちゃくちゃ多いですよね……涙

 

共感による殺人例(1):アイディアの芽を摘む上司

いまこの本を読み返していて、ふとあることを思い出しました。それは知り合いA男の職場でのできごとです。

A男は職場でリーダーを務めており、外国籍の年上の部下がいます。その部下にあるシステム作りを頼んだところ、デザインの一部が変わっていたそうです。

そこでA男は、「なんでここ、こんなふうにしたの?」と聞きました。するとその部下は「こっちのほうがやりやすいと思ったんです」と返答。

A男はわたしに言いました。「ほんと余計なことしてくれてさぁ、いつもそうだから困るよ。言われた通りやればいいのに」、と。

ちなみにそのデザインは厳しく統制されているものではなかったそうで、特に変えても問題ないそうです。

わたしはこの話を聞いて思いました。最善策があるかもしれない…そう思ってした提案が、「そんなことしなくていい、だって普通はそこまでしないでしょ?」という理由で却下されたら、やる気がなくなるのではないか…、と。

とくにその部下は外国から日本企業に稼ぎにきているわけですから、それなりのスキルがある方なのでしょう。海外に比べて日本は保守的だと思うので、新しい提案も却下されやすいのかもしれない…と思いました。

この顛末をきいたとき、正直私は、ひょっとするとA男はその部下の芽をつぶしているのではないかな?と思ったものです。もし別の上司のもとで働いていたら、その提案が採用されて、もっとやる気がアップしていたかもしれない。

もちろん、実際にその部下の人の提案がどうだったかはわかりません。ただ、却下する理由が少々古くように感じたのです。

 

共感による殺人例(2):「すでに有名なもの」しか認めない人

さきほど、『凡人は天才を理解できないから排斥する』という一文がありましたが、正直このような出来事は世間にごろごろ転がっているように思います。

いかにも「天才」と呼べる人はこの世にわずかかもしれませんが、革新的なアイディアを持っている人やきらりと光る個性をもっているひとはこの世にたくさんいます。それは「天才」ではないかもしれないけれど、かけがえのないものです。

わたしは創作をしていますが、以前こういうことがありました。創作についてあるアンケートを取ったときのこと、こんな回答があったのです。

 

「あなたの描いたものには意味がない、巨匠のものなら読むけど」

 

おそらくこの回答者は、こう言うからには、わたしの創作物を読んだことがないのでしょう。もし私が有名人で人気者であれば、その創作物も読むに値するということです。

この回答を得たとき、当然わたしは悲しくなりました。しかしそれ以上に疑問になりました。

どんな有名人も、どんな人気者も、もともとその地位にあったわけではありません。”誰かが認めてくれて”、”それが拡大した”から、この回答者さんのようなタイプの人の目にも止まるようになったのです。

有名な人の作品なら読む、というのは、自ら楽しいものが探し出す苦労やそれをシェアして拡大する手間などを省き、すでに皆が毒見をして「間違いない」と太鼓判を押したものだけを摂取したい、ということにほかなりません。

これは極端にいえば、まだ幼い子供に、「こんなこともできないなんて!こんな子を産むんじゃなかった!」と言うのと似ています。

熟れた果実だけがほしい、というのは、確かにエコかもしれません。しかしもしこの世がそういう人であふれたら、この世のコンテンツは育たない気がするのです。それともそんな仕事は編集者がやればいいでしょうか?

この思想があまりに拡大すると、光る個性をもった人も死んでしまいます。まだ有名でも人気でもないうえ、協力すらしてもらえないということは、死を意味するのです。

 

共感による殺人例(3):LINEスタンプクリエイターを見下す人

創作者の中には、LINEスタンプクリエイターとして活躍している人もいます。LINEスタンプは誰でも作れますが、売れるようにはなるのは大変です。ぶっちゃけ自分も試してみたのですが、さっぱり売れませんでした(笑)

多分それは、スタンプの使いやすさと同時に、宣伝力がものをいうからではないかと考えています。

とにもかくにも、LINEスタンプもたくさん売れればすごい稼ぎになります。ただしこれはYouTubeと一緒で、かなりのダウンロード数を要すると思われます。ですから、大金を稼いでいるLINEスタンプクリエイターは一握りでしょう。

しかし…LINEスタンプを作ったことがある人ならお分かりかと思うのですが、あれって、約40個の絵をかかなくてはいけないし、タグなどの登録もあって結構面倒です。その労力をクリエイターは請け負っています。売れても売れなくても、です。

わたしはあるとき、絵がかける人を尊敬しているんです、という方と出会いました。その方とても上品で身のこなしもスマートでしたが、ある発言に耳を疑いました。

 

「絵を描いてるフリーランスと名乗る人に具体的に何をしているか聞いたら、LINEスタンプを作ってるというんです。その程度でフリーランスとかありえないですよね?」

  

このような感覚の持ち主はこの世に本当にたくさんいます。それは経験上知っていたし、「絵を描いてるフリーランスって結局大して稼いでない。アルバイト以下」といった形で見下されているパターンが実に多いです。

実際に収入の面でみれば、事実それほど稼いでいないパターンも多いと思います。そういう事例があるからこそそう思われるでしょう。

ただ、「フリーランス=会社に雇われないで働いている」という意味であって、「フリーランス=一人でバリバリ稼いでる」という意味ではありませんよね。

この方の場合は、法人の仕事をしているなら認める、といったスタンスでした。確かに企業案件は手堅いですし、人に認めてもらいやすいです。ただし、個人としてブランディングして世に認めてもらうほうがその数百万倍も難しいことは確かです。

また、LINEスタンプ制作でも企業案件は当然ありますし、発注されたLINEスタンプをクライアントの希望通りに仕上げられるのは誰でもできることではないでしょう。

こういうとき、個々の持つゆるぎない独創性は理解してもらえないのかもしれない…と思います。

 

それでも独創には共感が欠かせない

ここまで殺人例を書いてきましたが、これだけ見ると、共感性の高い人と独創的な人とは敵対関係のようになってしまいます。しかし実際は、共感的な人がいなければ独創は広まらないし、アイディアも死んでしまいますよね。

ここで本の話に戻るのですが、「天才は凡人に理解してほしいと思っている」というのは、だからこそとてもよくわかるなあと思ったんです。共感しました!という人がいないないと始まらないんですよね、本当に!

ただ、この共感者のなかにも、能動的に率先して共感するひとと、誰かの共感したことに共感する後発の人がいるように思います。そしてその間に、共感者から共感者へ情報を広めていく中間の共感者がいると思うんですよね。

たとえば、能動的な共感者だけだと、宗教みたいになると思うんです。しかしその共感が伝搬すると、大ヒットとなる。ここの違いが難しいですね。

 

天才の時代から秀才の時代へ

本書によれば、現在は秀才の時代にシフトしているのだそう。むかしのように、革新的なアイディアが求められるのではなく、再現性が求められているということですね。

どちらにせよ、共感力を持つ凡人は常に求められているということがいえます。そう考えると凡人はすごいのかも!?

ひょっとすると、これから10年、20年と時が進んでいくと、こういう状況はまた変わってくるのかもしれません。

なににせよ、この本に書いてあったことは、ものすごく真意をついているなあと思って、読んでいて面白かったですね♪

 

最後に、本書によれば誰の心のなかにも天才はいるのだそうです。ということは、心のなかにあるアイディアでひと花さかせることもできるのかもしれない。ただし、天才は孤独である…そう考えたとき、どうやって生きていくかが問われそうですね。

 

ではでは、また、、

 

 

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